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#Make It (Almost) Incomprehensible

カラの壺から聖なる灰を物質化したサイババの奇跡は手品であると批判された。
だが彼の所為は、ある意味で今日のデザイン環境のアナロジーとして解釈できるのではないかと考えた。
その極めて複雑な、人間単体では理解不可能な神がかった物質化のプロセスを、我々は「サイ・ババ的マテリアライジング」と名付けた。
情報環境における人々のふるまいのビッグデータの可視化、自然環境における微生物の働きを援用した生態系の構築、 社会環境におけるインターネット前提経済がもたらしたグローバルな富の流通のように、今日の我々の暮らしには様々な「サイ・ババ的マテリアライジング」が存在する。
もしかして、自然界のみならずインターネットや市場に、神がかった何かとはシステムとして遍在するのではないか。

京都・上賀茂神社にある円錐形の立砂は神代の昔、祭神が降臨した山に因んだものであり、この砂の信仰が起源となって清めの砂が始まったとされる。
本作では単純幾何学形態や粉状の物質が持つ神がかったイメージを引用しつつ、ほとんど見えないマテリアライジング・プロセスとしての生物、空間、人工物が織りなす小さなバイオスフィアを構築する。

「宿りとしての物質と情報」

  かつて建築研究者の神代雄一郎氏は、1960年代から始めた漁村のフィールドワークを経て、集落を形成している 2 つの直交軸を発見した。
一つは、私たちの実利的な生活を支える横の社会・経済軸であり、もう一つは縦の信仰軸である。 デジタルの世界が持つ広大な可能性は、今のところ一つ目の横軸上で使われることが多い。そこでもう一つの縦軸について考えたい。

私たちを取り巻く環境における様々な出来事の因果をつきつめることはまだまだ不可能である。 そしてインプットとアウトプットが 1 対 1で対応すること、あるいは対応していると考えることは、世界を矮小化すると共に可能性の広がりを放棄していることになりかねない。
かつての私たちは、磐座や神木、付喪神に見られるように、大きな岩や木などの自然物をはじめ、人間がつくった加工物や人工物までもを、ただの物質として捉えるのではなく、 何かが宿る場であること、そしてそこに立ち現れる物語を信じていた。
そこには、インプットされる情報があってアウトプットされる物質が存在するだけではなく、 既に存在する物質に情報がインプット(宿る)ことによって、あるいは情報が宿っていると信じることによって、物質のものの意味が変わってくる世界が広がる。
その情報とは、私たちの、全体を捉え難い世界の深淵に近づきたいがための想像力である。 書き込み済みの世界の先に、私たちは想像力を重ね合わせ、宿りの場を顕在化することが果たして可能だろうか。

二つのメタフィジカルな情報。それは「事前」としての設計図・プログラムと、「事後」としての遠方から飛んでくる欲求・インスピレーション。
事前としての設計図は、設計図通りにできあがる物質の予測可能性と、 そこにあえてバグやノイズを引き込むことによって現れる物質の予想不可能性による物質の多様性を引き出すことができる。
しかし、設計図・プログラムに仕込むことだけではなく、事後として、たまたま存在する物質に上書きされる情報が、 有り様を変えるような経験が、私たちと世界を繋ぐもう一つの方法であると考えている。

水野大二郎